スポンサーサイト
たまにはテゼも
私が今、会社で担当している職業訓練生の3ヶ月間の訓練もいよいよ大詰めに入り、先週は非常に忙しく過ごしていて、土曜日は一日バタンキュウだった。家の掃除や洗濯をし、昼間からゆっくり風呂に入って、とにかく疲労回復に努めたが、なかなか疲れが取れない。日曜日、10時少し前に起きて、イグナチオ教会の正午ミサに行こうかと思ったが、腰が痛くて駅まで歩くのも億劫。良い天気だったので、自転車に乗って、近所の松原教会にお邪魔させて頂くことにした。
ミサの中で、テゼの曲が1曲だけ歌われた。
おおキリストよみがえりぬ おお主をたたえよ アレルヤ
日本語詞はそのようなシンプルな内容。ところどころハモリながら繰り返して歌う内、喜びが溢れてきた。
実は私は、以前はテゼが苦手だった。私が教会に行き始めたのは22年前で、田舎の教会だった。典礼は、その頃は既に今とさほど変わらなかったが、黒い表紙のカトリック聖歌集がもっとたくさん使われていたし、毎日曜日ではないがラテン語の聖歌やミサ曲(天使ミサ)も歌われていた。東京に来て、5年ぶりくらいでカトリック教会(イグナチオ教会)に行った時、フォークミサにはかなり驚いたし、いつだったか初めてテゼのつどいに参加した時は、自分には絶対に合わなそうと思った。
けれど、その後何度かテゼの曲に触れる内、好きな曲も出てきて、今は嫌いと言うわけではない。さすがにミサの中で(と言うか拝領の時に)歌われると、「え、ここでテゼ・・・?」みたいに思わないこともないけれども。。。
でも、今日の「Surrexit Christus」は、(それこそ拝領の時に歌われたのだが)心に沁みた。
上に貼ったビデオの映像よりは、もう少しゆっくりな感じだった。
松原教会を辞した後は、余りの肩凝りのひどさに耐えかねてマッサージに行き、帰宅してからまた昼風呂。近所に買い物に行ったりストレッチをしたりと、この週末は家から余り出なかったような気がする。普段の週末はほぼ家を留守にして、遠出と言うか、都心方面に行くことにしているのだが、こうして近所を自転車で散策する程度の過ごし方も、なかなかいいものだ。
のびる
山菜の一種なのかもしれないが、昨日、スーパーで売られているのを見て、初めて買ってみた。
こんな感じの野菜。http://www2.odn.ne.jp/shokuzai/Nobiru.htm
昨日はこれの根の部分はマヨネーズをつけて食べた。
うま〜い!!
たぶん、苦手な人は絶対に無理だと思うけれど、私は刺激のある野菜は大好きなので(笑)。
ツーンと辛くて(しかも昨日のヤツはかなり辛かった)、少し粘り気もある感じ。
茎から上の部分は、卵と一緒にバターで炒めて食べた。醤油ちょろっと。そしてハバネロの粉末を。最高!
少し余ったので、今夜は根の部分を細かく刻み、オリーブオイル、にんにく、ジェノベーゼペーストと和え、
トリのモモ肉のソテーにかけてみた。(エシャレットを刻んだヤツも混ぜた)
これがバゲットやワインと合うこと合うこと。
だが、、、ちょうどいい感じで眠くなって10時頃眠ったのに、野蒜とエシャレットの刺激のせいなのか、
こんな時間(深夜12時少し前)に目が覚めてしまった!
「わが家の歴史」を観つつ、ワインをこれより一杯飲んで、二度寝することとしよう(こういうのは二度寝とは言わないか)。
復活祭 2010
年度末始で本当に忙しい毎日を過ごしている。4月5日の入社式の準備やら今担当している職業訓練生の研修準備やらで、金曜日は会社を出たのがなんと深夜の12時。自宅近所の居酒屋で食事して、家に帰って寝たのが3時。1週間の疲れが溜まって、今日は15時頃まで横になっていた。昼夜逆転。
さて聖土曜日。いよいよ復活徹夜祭である。
去年は友達とイグナチオ教会に行ったが、今日はとてもあの行列に並ぶ気がしなかったのは勿論、体中がガチガチに凝っていて、徹夜祭に行くのは諦めようかと思った。だが、やはり出かけようと思い直し、近所の成城教会に行くこととした。自転車に乗れば15分足らずの距離。
桜が満開の道。自転車をゆっくりこぐ。そして成城教会に着くと・・・、なんとミサが始まっている! 聖堂は満員。ちょうどそこにいた方にミサの開始時間を尋ねると、どうやら私が1時間勘違いしていたようだ。残念! 光の祭儀に与ることが出来なかった。
補助席が空いていたので座ると、すぐにアレルヤ唱で福音朗読。説教が始まり、神父様の「イエズス様のご復活の証拠は『私たち』です」との言葉がひときわ心に響く。
今年、成城教会の復活祭で洗礼を受けられた方が、14名いらっしゃった(幼児含む)。彼らが洗礼を授けられている間、「この水を受けた全ての人は救いの喜びに声上げて歌う アレルヤアレルヤ」の聖歌を歌いながら、不覚にも涙がこぼれる。20年前の、自分の洗礼の時を思い出しながら、今日洗礼のお恵みを受けた方たちの祝福を心から祈る。
本当に素晴らしい喜びに満ちた徹夜祭だった。ミサが8時過ぎに終わり、脇祭壇のマリア様に「天の元后喜びたまえアレルヤ」のお祈りを捧げて、また自転車に乗って帰ってきた。
引越し荷物が未だに片付いていず、衣装ケースに長くしまっていた衣類やタオルを整理すべく、一旦洗濯をしようと思い、ミサから帰ってから洗濯機を3回も回している。今、お茶を飲みながら、ウイーンフィルのヴォルザーク9番を流し、パソコンに向かっている。疲れが溜まっているし、家の中の整理を完全に終わらせてしまいたいので、明日の復活の主日もイグナチオではなく近所の教会にお邪魔させて頂くかもしれない。
キリストを信じるすべての者よ
主の過ぎ越しをたたえよう
小羊は羊を贖い 罪のないキリストは罪の世に
神のゆるしをもたらされた
死といのちとのたたかいで 死を身に受けたいのちの主は
今や生きておさめられる
マリアよ私たちに告げよ あなたが道で見たことを
開かれたキリストの墓 よみがえられた主の栄光
あかしする神の使いと 残された主の衣服を
わたしの希望キリストは復活し
ガリレアに行き 待っておられる
ともにたたえ告げ知らせよう 主キリストは復活された
勝利の王キリストよ いつくしみをわたしたちに
アーメン アレルヤ
ふたご

いまどき珍しい〜!
先ほど夕食を作っていたときに、卵を割ったら双子でした。
ちなみに6個350円とかの高い卵じゃなく、普通の安い卵です。
昔は、たまに双子って見たものだけど、最近は本当に珍しいなと思う。ラッキー♪
我々の職場での静かな(?)ブーム 平林都先生
ただ、なんと言っても「お客様対応」というのは我々の仕事にとって基本である。訓練生の中には、今まで一度も接客と言う仕事をしたことがない人もいる。我々の仕事はコールセンターで、お客様に対して笑顔や動作を視覚で伝えることはできないが、私はいつも訓練生に、電話の向こうにまるで笑顔で優しくて折り目正しい営業マンが座っているかのように思って頂けるようなな、映像を描かせるような顧客対応を、テレコミュニケーションのプロとして音声(言葉と声)を駆使して行なうよう伝えている。訓練生にはいつも成長と成功の体験を楽しみながら学習に臨んで欲しいので、私も笑いを絶やさないようにしているが、その分、厳しく言う部分は強調されて訓練生に伝わるようだ。昨日は、体調がすぐれないことを理由に暗い表情でお客様にコールをしている訓練生がいたため、「お前が具合悪くても死にそうでも、お客様の前では笑ってろ!!」と怒鳴る場面があったのだが、やはり彼らにはあらゆる面で、今のうちにプロ意識を育てて欲しいと思っている。
(お客様の対応中でないときには、そのような叱り方はせず、むしろホスピタリティを実感してもらう為に別のアプローチをする)
競合他社が非常に多い中、自分が100%のことをして満足しているのでは、それはただの自己満足で、お客様やお取引先様から見れば他社と横並びに過ぎない。選ばれる企業、1回選ばれるだけでなく選ばれ続ける企業である為には、お客様が支払う代価以上の付加価値を対価として提供できなければならない。そのことは研修当初から伝え続け、訓練生のミッションステートメントにも、自分たちがそのような人材(人財)であることをアイデンティティにまで高められるよう、しっかりと明文化している。
そのような訓練の日々が続いているわけだが、先日上司が、「面白いものがある」と言って、ある動画を見せてくれた。接遇の鬼と言われる平林都先生を取り上げたテレビ番組だ。平林先生はエレガントスクールなるものを経営なさっていて、1年で300もの研修をこなしている。
優雅な身のこなしと言葉から突然豹変して関西弁で怒る先生の姿を観て、みんなで大笑い。でも、本当に素晴らしい研修だと思う。決して、「できた気になって満足」の研修ではない。本当にできるまでボコボコにされる(笑)。
で、最近私の職場では、「○○研修は平林先生風でいこう」とか「平林先生の要素を○○研修に」といった会話が頻繁に飛び出し、一種の平林ブーム(笑)。
既に番組をご覧になった方も多いと思うが、どうぞ。↓
これは私の故郷でもある函館のケーキ屋さんでの研修の模様。
こちらは笑いと共にちょっと感動した。高知の病院。↓
「患者と病院は対等であるはず。対等なのに、向こうは『先生』と言って下さる。その人に対して「様」でお呼びするのは当然」という平林先生の教育が浸透して、院長が「患者様」と自然に言っているのが印象的だった。
こちらは先生の著書。出版から4ヶ月経った今、大きい本屋さんで軒並みランキング入りしているのを見かける。
![]() | 平林都の接遇道 (2009/11/20) 平林 都 商品詳細を見る |
おひっこし
私の住んでいるアパートは2階建てで、私は2階に住んでいる。1ヶ月くらい前、アパートの管理会社から、もしも1階に移れば家賃が安くなるので移らないかという提案があった。最近、不況の影響なのかアパートの入居者も減り、更に1階は余り人気がないようで、2階の居住者に1階への移転をそれとなく勧めているらしい。2階は募集を出せば割とすぐ埋まるとのこと。最寄駅は二つあって、遠い方でも徒歩12分。近い方なら6分。急行に乗れば新宿まで12分なので、割と人気は高いらしい。
転居することによる私のメリットは、家賃の差額自体はそれほど大きくないものの、転居先の新しい契約書を会社に提出すれば借り上げ社宅にして貰え、手当として一部が支給されるので、年間にすると結構な差が生まれる。それで、思い切って引越すことにした。
引越しといっても真下の階に移るだけなので、引越しセンターを頼むほどでもない。今日と明日で小さい荷物を少しずつ運び、月曜日(祝日で会社は休み)に大きな家具を2人がかりで運ぶ予定。前の会社の同期が手伝いに来てくれることとなり、ありがたい!
今週は夜の時間を使ってこの引越しの準備をしようとしたが、同じ部署の人がスポット業務で1ヶ月ほど不在にしていることもあって、仕事が多忙を極め、全く時間の余裕がなかった。昨日など、朝から一心不乱に仕事をして、会社を出たのが夜の11時半! 月末に社内の昇格者の試験があり、私がその問題作成に携わったりとか、職業訓練中のメンバーがいよいよ来週は生保の一般課程を受験するということで、そのフォローだとか、目まぐるしく毎日が過ぎている感じ。さすがに来週以降はもう少し余裕が生まれることと思う。いや、周りがどう思おうと定時で帰ろう!(決意)
私の住んでいるアパートには小さい桜の木があって、今日あたりはもうだいぶ蕾が膨らんできた。来週辺りには花が見られるかも知れない。
寒桜と個人情報保護士と
2月から私が担当している職業訓練が思いのほか忙しく、毎日遅い日が続いている。それと、訓練生たちの資格取得(損保募集人、生保募集人)があり、なんだかそれが済むまでは気が気でないのもあって、日記どころではなかったというのが正直なところ。
で!
今日は私自身の個人情報保護士認定試験の日であった。昨年12月に受験したが、見事落第(涙)。今回、再挑戦である。
この個人情報保護士認定、合格率はさほど高くないようであるが、情報セキュリティとかISO27001なんかに関する知識がある程度土台にあれば、あとはきちんと試験準備すればさほど難しくない内容だと私は感じている。だが、社会人が仕事を持ちながら試験準備をする場合、前日の土曜日にちょっとやった程度では、多分合格ギリギリになると思う。
で、今回の私だが、この忙しい時期での受験ということで、勉強したのは昨日のみ。しかも完全に失敗したなと思ったのは、試験の前に気晴らしに新宿御苑を散歩してしまったこと。なぜ散歩がいけないのかというと、花粉を思い切り吸ってしまったからで、深夜まで鼻の中が嵐状態! 過去問題集を半分もやらずに、寝てしまった。
試験は2部制になっていて、前半は「個人情報保護の総論」、後半は「個人情報保護の対策」である。この試験は財団法人全日本情報学習振興協会が主催していて、今回で18回目を数えており、個人情報保護に関するライセンスとして、社会一般で広くステイタスが高まりつつあるものだ。前半の部分だけに合格した場合は、次回はそこは免除されて、後半のみを受験すればよい。
私の会社からも多数の者が受験していた。今日の試験会場は駒場東大。自宅から比較的近いので、ありがたかった。
で、、、流石に18回目ともなると過去問題集に掲載されていた17回目までの問題よりもレヴェルが上がっているのは確かで、苦戦した。。。後半は情報セキュリティの問題も多く、私は既に情報セキュリティ3級は持っているので、そこの知識でなんとかカバーできたが(できたような気がするが)、前半でかなり時間をとってしまい、制限時間120分の終わりを告げる声と共に、最後の100問目の答えを何とかマークした。最後の100問目が、こともあろうに(といっては変だが)トロイの木馬とスパイウェアとボットの定義。落ち着いて選択肢の全文を読めばなんてことないのに、残り時間数十秒という状況で、ついああでもないこうでもないと迷ってしまった!
ま、終わって肩の荷が下りたところ。次は5月のFP2級だ。会社が、今年は幾つかの資格を社員に取得させることに非常に意欲的なのである。こちらとしても、試験と言う機会でもないと改まって勉強しない分野のことも多いので、スキルアップの為には非常に助かっているのである。
写真は、昨日新宿御苑で写した寒桜。五分咲きくらいで本当に綺麗だった。あと少しで染井吉野の季節である。
森司教様による四旬節黙想会 「居場所ということ」
とは言っても、前回の日記にも書いた会報の送付という作業に小さなミスがあることが分かり、それを済ませてからでないと外出できなかった(したくなかった)ため、黙想会には40分ほど遅刻。
プログラムは、10〜12時と13〜14時半の2回に分けて講話と黙想があり、その後ミサという流れである。
事前にテーマは明かされていなかったが、森司教様のご指導なので、恐らく社会的弱者への愛とか、それの実践における信者の意識の転換などに関するものなのではないだろうかと、予測していた。大体そうであったが、本当に深いお話しをお聞きすることが出来て、感謝である。
午前中は、「究極的にはキリストへの信頼を自らの居場所とすること」、午後は「居場所としての教会」という主題のもと、講話をして下さった。午前、午後とも、伏線としてマリア・マグダレナの「福音体験」が語られていた。
能力主義、効率主義が跋扈する日本の社会において、非生産的、非効率的、非合理的なものは排除され、あらゆる立場、あらゆる世代の多くの人々が「居場所」を失っている。居場所を失った彼らの叫びに、耳を傾けよう。人間が、その人生は本当に尊いのだというメッセージを発信し続けられる場所が教会だ。教会もまた、なんの条件もなく誰をも受け容れるコミュニティであるという面から言えば、これほど混沌とした社会もないが、教会はエクレイジア、つまりイエズス様をかけがえのない存在として生かされている人たちの集まりである。「教え」の「会」が教会なのではない。福音はまさに体験そのものだ。教会がイエズス様から受け継がなければならない本質とは、時代の中でどんなに人々が痛めつけられようとも、それに目と耳を向けて、人々を受け容れ、人間の究極的な尊厳を守ることだ。
非常に短く要約してしまったが、以上のような内容であった。司教様は様々な例話を豊富に示されながら、本当に分かりやすく、四旬節のはじめにあたって私たちを深い黙想へと導いて下さった。沈黙の時間も多く与えられた。
去る金曜日、今月初めから私が研修を担当している16名の内、ある1人から昼休みに、「私事なのですがよろしいでしょうか」と声をかけられた。その彼は当初から研修も上の空で、テストをしても点数が芳しくなかった。これまで全体への注意とか叱責と言う形で間接的に何度も改善を求めてきたが、彼だけは直らない。他の訓練生とも余りうまくコミュニケーションをとっているようにも思えない。何か別の方法(例えば面談など)で注意をする時期だなと思っていた。上司からは、彼に関してはやめさせても良いという指示さえ出ていた。
その彼から、珍しく話しかけられた(プライベートに関することであるので詳細には書かないが)。
彼は話し始めたところで、「もう一回、考えがまとまってからきます」と言う。しかしどうも様子が変なので、私は、言いたいことがまとまっていなくても構わないから話し続けるよう勧めた。彼はみるみる内に大粒の涙を流して、現在の非常に辛い状況を話してくれた。その問題は、ある程度までは私(というか私の会社)が実際的に役立てる内容のことだったが、そのことよりも、彼自身がそのような状況下で職業訓練を受けているのは余りにも辛すぎるだろうということが大いに察せられた。私としては、実際的に協力できる内容を伝えると共に、「そんな状況にあるとは分からないで、色々厳しいことを言ってごめん」「希望を失わないで」「人に話すだけでも楽になることもあるだろうから、いつでも遠慮しないで」ということを話すしかなかった。
彼は少し元気を取り戻して、涙も止まり、「お昼を食べてきます」と言い、午後も頑張って訓練に臨んでいた。
それが金曜日の出来事で、彼のことが気になりつつ週末を迎えたが、その中で伺う森司教様のお話しは、非常に響くものがあった。
司教様のご指導の中で黙想しつつ、「何かが出来るからその人に居場所が与えられるのではなく、居場所があるからその人は能力を発揮できるようになる」ことを改めて思い、居場所を作ってあげる(そのような環境を構築する)ということは、実は会社と言う組織の中でも可能であることを考えさせられた。
私が社会に出た頃の会社の風土と言うか、植えつけられたメンタリティは、コストパフォーマンスに見合わない人間は不要であるということであった。勿論、それは利益を追求する企業体である限りいつの時代にも共通している事柄なのだが、特にここ数年、ES(Employee Satisfaction)とかCSR(Corporate Social Responsibility)という概念が社会一般的に認知、浸透、深化することに伴って、多くの企業で従業員の人間としての根本的尊厳にフォーカスしたマネジメントが重要視されるようになってきていることを実感する。例えば、松下幸之助さんとか稲盛和夫さんが唱えるような「社会のため、人様のため、まずは従業員から」のような発想は、一昔前であれば「うちの会社はそんな理想は言っていられない」とばかりに一蹴されていたのが、最近では顧客、ステークホルダー、社会、ひいては世界や地球環境まで視野に含んだ中で理解されるようになり、単なる福利厚生の充実といった狭義に留まらない様々な施策が、多くの企業において試行錯誤を繰り返しつつ盛んに組み入れられているニュースを見聞きする。スターバックスコーヒー、ANA、オリエンタルランド、ザ・リッツ・カールトン、ジョンソンエンドジョンソンなどなど、ロールモデルとなっている企業もすぐに思いつく。
私が現在勤務する会社も、この部分は今、強力に推進しているところで、まさに私が所属する教育のセクションはその中核に位置するので、前述の訓練生の彼に対しても会社として出来ることは色々ある。(経営破綻した前勤務先は全く逆の文化を形成しようとしていたが、もしそこに彼のような人間が入社していたら、一体どうなっていたのだろう。)
個人の立場としても、陰ながら祈ることができるというのがまず感謝であるし、彼の話しを聞き、共感と共存の姿勢を伝えることもできる。
私自身や私の周囲の人々に関わる人間関係やら何やら、他にも様々なことを振り返させられた、今日の黙想会であった。Deo Gratias!
平林神父様のご指導にまた感謝
まず、日曜日にイグナチオ教会で森一弘司教様のご指導による黙想会があるため、それに予定を合わせるべく、他の用事を土曜日にさっさと済ませた。
用事とは、まず私が青年部長を務めさせて頂いているある趣味の会の会報の発行だった。年3回発行している。と言っても、集まった投稿をただワードにまとめるだけなのだけれども、全国から集まった投稿はもちろんフォントはばらばらだし、変なインデント処理がされていたり、思い切り容量の大きな写真が貼り付けられていたりするので、それらを修正していくわけである。地道にやればなんてことないが、結構めんどい。。。更に、Microsoft Officeが入っているラップトップのPCの調子が最近余りよくなく、しょっちゅうフリーズ。余りにも使い勝手が悪いので、普段は、持ち運びも可能な小さいミニノートを使っている。けれども、この会報の発行作業だけは、このご機嫌斜めのPCをだましだまし使わなければならない。ミニノートのほうは、Officeは入っていず、互換性のあるStar Suiteとかいうアプリケーションがバンドルされているのだけれど、互換性があるといっても、これで作ると、Officeで開いた時にはレイアウトやなんかがメチャクチャになってしまうので。。。
そんなことで作業には思わぬ時間がかかるというわけ。それを土曜日の午後に終わらせ、晴れ晴れした気分でイグナチオ教会の夕ミサへ。(夜、作業するという方法もあったが、先に済ませて気分をスッキリさせたかったのだ)
ミサの司式は平林神父様だった。今年は灰の水曜日のミサに行けなかったので、四旬節第一主日のミサで、「ああ、もうこんな季節か」と実感するていたらくだ。平林神父様は、決してうわべの綺麗な言葉で人々の歓心を買うようなことはなさらない。だから、バシッと厳しいこともおっしゃる。そういう神父様にご指導を頂ける私たちは、幸せだと思う。土曜日のミサの冒頭でも、「この四旬節、私たちは自らの信仰を厳しく見つめ直しましょう」と勧めて下さる。福音はイエズス様が四十日四十夜の荒野での試練を受けられた箇所で、神父様は、「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知恵を尽くして、あなたの神である主を愛する」ということに究極的にいつも結びつく私たちでなければならないこと、そして、十字架の後には必ず復活があることを既に知っている私たちは本当に幸いであることを、語って下さった。
ミサの最後、派遣の祝福に入ると思いきゃ、「皆様にお願いがあります」と神父様。聖体拝領時の祝福に関するご注意であった。今、東京あたりの殆どの教会では、聖体拝領をしない方(未信者の方、告解を済ませていない或いは色々な事情がある方、同日にもう聖体拝領をしている方など)は、聖体拝領の列に並んで祝福を受けることが許されている。土曜日のミサの中で神父様に祝福を断られた方がいらっしゃって、その場で一悶着あったのだろうか。神父様は派遣の祝福の前に、このようにご指導されていた。
「ご聖体は、結婚式や葬儀が重なるなど特別な事情がない限り、1日1回しか拝領できないことは、皆さんご存知だと思います。かと言って他のミサに出て、拝領はしないけれども祝福なら何回でも受けられるというわけではありません。あの祝福は、閉祭の時に司祭がする祝福と同じものです。ミサは単なるイベントや行事ではありません。聖体の意味を悟れば悟るほど非常に深い、秘儀が行われる場です。聖体拝領をしない方に祝福をするという習慣は・・・いわばサービスです。その場で司祭が祝福をするかしないかは、司祭の判断にお委ね下さい」
スカッとさわやか、びしっと、平林神父様(不謹慎な言い方だけど)。「サービス」というくだりは、その場でとっさに最適な表現が見つからなくて口に出されたご様子ではあったけれども、この厳しさ、必要だなと改めて思った。感覚だが、周り(リアル、ネット共)を見渡すと、信徒の側が典礼に関して必要以上に文句を言ったり、「正しい」「間違っている」と裁定したりということを、昔に比べて多く見聞きするように、私には思えてならないから。
聖体拝領時の祝福に関しては、私が教会に通い始めた頃は、なかった。と言うか、その教会では、田舎のせいもあるかもしれないが今でもそうである。拝領をしない人は、着席して待つよう指示される。
イグナチオ教会は平日も主日も、ミサが何度も行なわれるから、中には何度もミサに与って祝福だけを受ける方もいるのだろう。平林神父様のご指導に感謝である。
う い い く え ん ど っ !!!
ブログも久し振りの更新である。
と言っても、この多忙さは半ば予測がついていたことなのだ。
今月から、職業訓練所から来る有期訓練生の方たちのトレーナーとして部署を異動した私。異動することは既に昨年の11月から決まっていたものの、営業部から人事セクションへの異動というのは、特に私たちのような会社ではかなりの苦労なのだ。有期訓練の方たちを2月1日から迎えて翌日から研修を開始する為に、一番望ましいのは、1月の、遅くとも中旬くらいからは、業務を直接的に担当する私が準備に取り掛かることである。私を迎えて下さる人事セクションの方たちも、そのように会社側に要望していたし、私自身も心からそうしたかった。しかし、営業部側では月末ギリギリまで1人でも人を減らしたくない。取引先への事情も複雑に絡まって、結局準備の時間は与えられることがなく、2月1日付で異動したという訳である。
経営破綻した前の会社で私が作成した何冊ものマニュアル類を、幸いデータで保存していたので、それらを現在の会社用にカスタマイズしてうまく使いながら、この2週間を乗り切った。同業他社だから、多くの部分は転用できるのである。しかも、以前の会社と大きく違う点として、CS(顧客満足)だのホスピタリティだのといった概念は、前の会社ではほんの限られた一部署のみでしか受け容れられない環境であったのが、現在の会社はそういう面を企業理念として前面に出した企業文化が作られつつある。その為、以前から私が作り上げてきた研修プログラムが、結構ヒットしているのである。これは本当に感謝なことだ。ESやCS、それに伴うビジネスパートナーやステークホルダーの満足度向上、その循環が企業価値を創造するということを、研修生用にマニュアルや研修カリキュラムに落とし込んでも、以前の会社では評価が低かったのが、現在の会社ではそれこそが求められていることで、私がトレーナーとして曲がりなりにも即戦力的に役立たせて頂いていることを思うと、なんだか経営破綻→強制解雇→同業の現在の会社に移籍という一連のことが、運命的にさえ感じられてしまう。
とは言え、準備全くなしでスタートした今回のメンバーの研修であるから、今日までは本当に忙しく、毎日深夜の帰宅であった。この土日は絶対に会社には出ないと決めているので、久し振りの二連休である。何をして過ごそうか、ちょっとわくわくしているところ。まずは睡眠だね。静かな聖堂でゆっくり黙想もしたい。あとは、温泉にでも行って、ゆっくりと英気を養いたいものだ。
訓練生のメンバーとも、2週間も経つとコミュニケーションも深まってきて、阿吽の呼吸とまではいかないが、かなりいい空気になってきた。メンバーが単に研修カリキュラムをこなすことだけでなく、高められた相互依存や協調を培うこと、キャリア形成を踏まえた主体的なアクションを習慣付けることも目的として、雑務をタスクチームに発展させたり、ミッションステートメントを全員で作り上げたりと、色々なことに取り組んで貰っている。だから私の仕事も余計に増えたのだが、これらは着実に何かを創造しているという実感が伴う充実した忙しさであるから、毎日が楽しいし、経営陣がそれらを評価して下さっているのも非常に励みとなる。そのような忙しさの中で、昇格審査や昇格者の食事会、別業務での研修プログラム策定やマニュアルリリースなどなどが挟まり、忙しさが集中したが、来週からはそれも落ち着くので、時間の余裕も出てくることだろう。
皆さんもよい週末を!



